1997年
9月,KIRILOの呼びかけにより突然結成された,KIRILO, CHIHIRO, FUZUKIによる3人の女性バンド。
その名も『eX-Girl』...。
1998年
6月, プロデューサーにホッピー神山を迎え,1stアルバム『Heppoco Pou』を リリース。
8月,初のアメリカツアー(New York、SanFrancisco、Portland)を遂行。
東京,大阪にてスペース・サイケ・ロックの雄“GONG”との共演!
1999年
1月,東芝EMIからリリースのホッピー神山プロデュースによるコンピレーションアルバム『SUPER NOVA VOL.1 UNI』に2曲参加。
同年3月,ホッピー神山プロデュースによる 2ndアルバム『Kero! Kero! Kero!』 発売,2度目のアメリカツアー遂行。
この頃よりアメリカのカレッジ・ラジオを通じて注目を浴びる。
特にサンフランシスコのKUSF,ニューヨークのWFMUでは月間オンエアー1位を獲得した 。
9月,大阪のレーベルAugenよりライブ・ビデオ「Here comes the Keronian!」発売。
2000年
3月,12inchマキシシングル・レコード「DISCO 3000」をリリース。
5月に5度目1ヶ月間のアメリカ・ツアー,そして5月に ホッピー神山プロデュースによる3rdアルバム『Big When Far,Small When Close(a cappella album) 』をリリースした。
イギリスのGuided Missile RecordingsとスカンジナビアのPOKO Records(International)からのベスト・アルバム「Revenge of Kero Kero」のリリースに伴い,7月,Mike Pattonからの要請によりFANTOMASとヨーロッパツアーを敢行。
ツアー中,ヨーロッパのロックフェスにも参加。
8月,ホッピー神山プロデュースによる4thアルバム『Back to the Mono Kero!』をレコーディング。
2001年
5月,日本で『Back to the Mono Kero!』をHiBOOMよりリリース。
ほぼ同時期にアメリカ/Mike Patton主宰 Ipecac Recordings,ヨーロッパ/62 TV Recordsでのリリース。
アメリカのいくつかのカレッジラジオでは,月間チャート1位を獲得。
この月,渋谷ON AIR WEST にて伝説のバンド”MAGMA”のオープニングアクトもつとめた。
アルバムリリースに伴い,アメリカとヨーロッパのツアーを4月〜10月にかけて行う。
ヨーロッパ最大のロックフェスティバル,デンマークのRoskilde Festivalでは,4000人のオーディエンスを集める。
またその後8月末〜10月始めにかけてのアメリカツアーでは、約30公演という強行スケジュールを敢行し、ソールド・アウトの会場も幾つか出た。
しかし同時多発テロの影響で,後半のスケジュールの大幅な変更を余儀なくされた。
帰国後ギターのCHIHIROが任務終了で、KeroKero星へ帰還。
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